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安楽死・尊厳死を理解したい人におすすめの本5選

安楽死・尊厳死を理解したい人におすすめの本5選

死は誰にでも平等に訪れます。

ただし、その時に苦悩するのかどうかは人それぞれです。

ピンピンコロリと逝ければいいのですが、病気などによるものだとしたら大変な苦痛を味わうことになるのかもしれません。


この記事では、安楽死尊厳死を理解したい人におすすめの本を紹介していきます。

死について誰かと話す機会も少ないため、あまり考えたことがないと思いますが、この機会に真剣に向き合ってみてはどうでしょうか?


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安楽死・尊厳死を語る前に知っておきたいこと

安楽死・尊厳死を語る前に知っておきたいこと

安楽死や尊厳死をめぐる議論はなぜ混乱するのか?
知っておくべき歴史や背景、言葉のからくりを指摘し、「死の自己決定権」「延命治療」といった言葉も吟味し直しながら、その議論が陥りやすい落とし穴を明らかにする。

「よい死」を語る前に私たちが真に議論すべきことは何か。人間らしい尊厳ある生き方を求めて、医療文化、社会のあり方を問い直す。


レビュー・口コミ

taro1991さん

この本を読むまでは、私自身、著者が指摘されているように、健康な今の自分の意識を投影して、「よりよい死」を考えているに過ぎませんでした。

しかし、この本を読むことによって、私自身が、社会のなかで「強い自分」をたえず求められ、「弱い自分」や「一貫性のない自己」を否定し、抑圧しているに過ぎないということに気づかされました思いでおります。

著者は本書のなかで、「よりよい死」(安楽死や尊厳死)を語る前に、よりよく生きる社会、自分の生き方を追求することを尊重できる社会をつくることが重要だ説きます。
人が生きていうくうえで当然と思われるような内容ではありますが、それが当然のことではなくなっている今日の社会だからこそ、多くの人に手に取って読んでもらいたいと思いました。

認知症好きの精神科医さん

「悪い死」の代わりに「良い死」を求めるのではなく「より良い生」を求める。それを医療・介護の専門職がどれだけ支援できるかが問われているのだと思いました。
厚労省は盛んにACPの普及を図っていますが、本当に意味のあるACPを行うためには、本書で示されたような視点が不可欠だと感じます(今のままだとACPはDNARの同意書作成と同義になってしまいそう...)。
高齢者や障害者に関わる専門職の方に一読をお勧めします。

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Amazonカスタマーさん

安楽死・尊厳死についてのブックレットです。中味はズバリ、タイトルそのものです。

昨今、安楽死・尊厳死に関する書籍やテレビなどが広がりを見せています。しかしながら、安楽死・尊厳死とは一体何でしょうか? 実はこうした言葉の定義が置き去りになっている印象があります。本書はそれに対する論考をきちんとやっています。

つまり安楽死・尊厳死とは何かをクリアカットに解説し、同時にまた、世間ではその定義が全然クリアに理解されていない現状を指摘しています。どんな議論でもそうですが、テーマとなる「言葉」の定義があやふやだとそこから議論が深まるということはあり得ません。語る前に知ることとして、筆者は精密に説明してくれています。

そしてこうした言葉をしっかりと理解した上で、今日の医療の問題点を整理していきます。医療=病気を治すこと・・・こうした定義が昔からありましたが、現在ではそういう狭いとらえ方では医療は語れません。医療は、再生医療などを含めてまだまだ進歩していくはずですが、今から四半世紀前と比べれば、その進歩はかなり飽和状態に達していると思います。

たとえば、かつて癌は死病でした。しかし今はそうではありません。早期診断・早期治療の様式が確立しています。その一方で、私たちの大多数は癌で命を失います。癌を治す手順がチャート化された一方で、多くの病院が緩和病棟やチームを構えるようになりました。

つまり、医療=病気を治すという観念で医者をやっている人はかなり減っているということです。そうであればこそ、医師たちは、生をどう閉じるのかについてさらに真剣に考える必要があります。

この本の最後には、「死にたい」と思っている患者が「生きたい」と思えるような手立てを医療が十分にやっているか・・・そこが問われていると書かれています。まったく同感です。緩和ケアというのは、痛みを取っておしまいという訳ではありません。そうであってはいけません。

本書には大事なことがたくさん書かれています。おそらく筆者には語り足りなかったことがたくさんあるのではないでしょうか?
それは読者への宿題となるはずです。
書籍やテレビで安楽死・尊厳死に関心を持ったら、この本を読んで考えを深めていってください。多くの人にお勧めできる一冊です。

あびさん

心肺停止13分間の際に臨死体験をした私に言わせれば、この本は死について語る本ではまったくない。生について語る本である。

もし、一文でまとめるなら、この本に書いてあることは、

生きるに値する命と、生きるに値しない命という考えはいったいどこから来ているのかよく自覚する必要がある。

以上である。

よい意味でも悪い意味でも、それ以上のことは書いていなくて、安楽死・尊厳死への賛成や反対もはっきりとは書いていない。

生きるに値しない命という考えのどこかに何かの勘違いがないか?という問いはかなり強いので、どちらかというと安楽死・尊厳死について反対にやや傾いているように感じられはするが、その意見を言うために書いたものではないと感じた。

安楽死・尊厳死について考えるならば、その前に「生きるに値しない命」という考え方は、どのようにして発生するのかについて、よく自覚し、観察しておかねばならぬのではないか。

そう書いてあるだけである。

それはたとえば、比較的健康な今の自分が、痴呆のために自分がわからなくなったり、病や障碍による機能不全のために殆ど何もできなくなった際の自分に対して、前もって「投影している」考えではないか。

そう安藤氏は個々に問いかける。

またどのような状態の自分になったとしても、生きるに値すると感じ続けるための援助や社会的手立てが、十分に整っていなかったり、そのような援助を受けるための情報を十分に得ていないときの考えではないか。

そのように社会的にも問いかける。

この二つは別の側面ではあるが、まったく別々のことであるわけではない。
個人的な価値観と社会的な価値観はどのような事柄についても密接に繋がっている。
「生きるに値する命」という考えについても同様である。

この本の前書きはナチスドイツで作成されたことのある安楽死についての法案の条文で始まっている。

一方、今の日本の政権は、ナチスを見習えばいいと公言したことのある閣僚を抱えている。
いや政権だけではなく、人々の生に関する考え方はどうなのだろうか。
有能であること、役に立つこと、周囲に「迷惑」をかけないことへの圧力は、異様に高まっており、それはまた自分自身の心にまで内面化されていないだろうか。

「生きるに値する命」と「生きるに値しない命」の境界線はいったいどこにあるのか。
いや、「生きるに値しない命」というものがそもそもあるのか。

人は死という究極の現実についてまで、自己決定権という言葉をたやすく使ってしまうことがある。
しかし、それはどのような価値観の社会の中で内面化された「自己決定」なのか。
そのことはけっして無視することができない。

「死ぬか植物人間です」と医師に宣告されてから10日後、私は、自発呼吸と意識を取り戻した。
その際の私は、常に激しい痙攣に見舞われ、幻と現実の間をさまよい続けていた。
たくさんの医療器具に繋がれ、その医療器具を自分で引きちぎらないようにするための拘束具によって、ベッドに縛り付けられていた。

だが、私には生きる意志があった。
「この拘束具を外しなさい。虐待で告訴する」と医療関係者に言い続けた。(^0^)
(数日間の攻防の末、取り外された。)

友人からの最初の見舞い品は録音機だった。
その録音機に私が最初に吹き込んだ声は「臨死体験ですべてがわかった。それを録音するから書き起こしてくれ」というものだった。

手指が動くようになるとすぐに私は宇宙がどのような構造で成り立っているかについての、臨死体験における理解をミミズが這いずり回ったような字で書き始めた。
(残念ながらその「お筆先」は通常の意識状態にもどった私には解読不能である。)

やがて私はパソコンで文字を打てるようになり、病院で小説を書き始めた。
退院後の6年間に3冊の書物を発表し、過去の書物の改訂増補版を作った。

私が意識不明のとき、家族は問われていた。
口腔からの人工呼吸器は感染症に罹りやすい。
植物状態になることを覚悟して、気道切開し、そこから人工呼吸器に繋いで延命をはかりますか?

家族が決断の期限を迎える頃、死体のようだった私の体が激しい痙攣を始めた。
家族は驚いたが、看護師が「自発呼吸を再開しようとしている兆しです」と説明したという。

そして、気道切開の決断の期限を迎える直前に私は、自発呼吸と意識を回復した。

今、考えるとよくあの状態で一度も「死んだ方がよかった」と思わなかったもんだなと思ったりもするのだが、私は一度も死んだ方がよかったと思ったりはしなかった。
完全に病床に繋ぎ止められた状態で、権利の主張を始め、録音機に私が価値あると思った言説を呂律の回らぬ声で録音し始めた。
どこまで回復するのかは未知であったが、それを一所懸命確かめることより、その状態でできることをすぐに開始した。
(自分でもびっくりするわ)

この本を読みながら、あのときの自分を振り返って、思い出すままに書いてみたが、かく言う私にも、安楽死・尊厳死については、誰もがこう考えるべきだという結論があるわけではない。

johnny walkerさん

(1)「安楽死・尊厳死を語る前に知っておきたいこと」というタイトルの中に、著者が言おうとしていることが既に、ほのめかされている。

それは、医療従事者やメディアが、さも当然のことのように使ってきた「安楽死」や「尊厳死」などの“用語”が実は、しっかりと定義づけられてはいない、甚だ曖昧な、どうにでも解釈できる、きわめて危険な“言葉”だということなのである。

共通認識のもとで用いられるべき、人の生死にかかわる重要な“言葉”遣いが、本書の示すように、いい加減なものだという事実に、先ず、衝撃を受ける。

著者は冒頭で、生きるのが困難とみなされうる人を、他者による「致死扶助」で死なせることを正当化しようとしたナチス・ドイツの法案を引用する。
起草者の正体を明かさずに、法案だけを「生命倫理」の授業で読ませると、現代の欧米で合法化されつつある「安楽死」や「自殺幇助」の法案だと、勘違いする学生がほとんどだというのだ。

それほどまでに、現代世界には、病苦の状況にある人に、生きるための励ましよりもむしろ、死んでもかまわない態勢を整え、誘導しようとする傾向が強まりつつあるのである。

無論、自分がいかに生き、いかに死んでいきたいかは、他者の指図で決まるべきものではなく、自己決定で選ぶべきものなのだが、

高齢化にともなう病苦の長期化に遭遇した場合、残りの人生を生きることをサポートするよりも、「安楽死」や「尊厳死」の可能性を視野に入れた“医療”を推進する医療従事者が、この日本社会にも増えつつあることを、本書は警告する。

「安楽? 苦痛を無くしてもらって安らかに死ねるなら、いいのではないか?」
「尊厳? 個人の人生を総決算する一生の終幕が尊重される死に方ができるなら、けっこうなことではないか?」
・・・などと、単純に考えてはいけないのである。なぜなら、実際の医療現場では、その人の「よき一生」を尊んでもいない、「安楽」や「尊厳」とは、かけ離れた、本人以外の人間(もしくは法律)による「死」への誘導が、堂々と行なわれる危険性があるからである。

(2)本書の表紙をよく見ると、ブルーの地に、白抜きの文字で書かれた著者の主張が、読者にヒントを与えていることがわかる:

「私たちは『よい死』を語り過ぎていないか? 人間らしい尊厳ある生き方を求めて、医療文化、社会のあり方を問い直す。」

つまり、致死量の物質をその人の体内に注入する前に、いま一度、その人がなお、「よき生」を全うするための可能性が、まだ、残されていないかどうかを、周囲のまだ生きてゆける力のある人たちが、サポートするべきことを、著者は訴えているのである。

病苦に苛まれ、思わず「死にたい」と口走ってしまう人でも、本当は「死にたくはない」のだ。「生きたい」と思い直させるような環境さえあれば、生きがいのある社会であれば、人は、どんな試練にも耐えられるものである。植物状態でも意思表示できる患者たちからの回答でも、「死にたい」と答える者はごく少数だという。

(3)本書の圧巻ともいえる第4章の後、「あとがき」の中で著者は言う:

「私たちは、『死にたい』と言っている人が『死にたくなくなる(生きてみたくなる)』
ような手立てを十分に尽くしているのか?』ということ、そして『私たちは、それぞれの個人が自分の生き方(このように生きたい)を追求することを尊重できる社会を作ってきたのか?』」

・・・この問いは、冷静に考えれば、ごく当たり前のことであるにもかかわらず、「安楽死」や「尊厳死」の議論にひとたび巻き込まれてしまうと、「生」よりも「死」のほうに関心の比重が偏ってゆく、危機感がつのってくるのである。

少子高齢化で、日本人の人口は減る一方の現状にあって、高齢にならないうちに病気に苦しんだり、高齢になって、生きがいをなくしたりする人が、「安楽死」や「尊厳死」のメニューを選ぶことなく、新規巻き直しをはかって、何らかの「よき生」を全うできるための思想が、今、問われていることを、痛感する。

(4)都内の電車に乗っていると“人身事故”という曖昧な名を借りて、ダイヤの乱れをアナウンスしない日はない、といってもよいほど、自殺の多い日本社会。
「安楽死」や「尊厳死」の場合は、「自殺幇助」を正当化しうる状況を作り出している現状は、「こんな世の中、生きていても、いいことなんか、ないじゃないか!」という投げやりな思いを人の心に忍び込ませる一因になりかねない

(5)著者が詳細に分析している「安楽死」と「尊厳死」、および、様々な「○○死」との対比は、われわれ各自の認識を正すのに、一読の価値がある。
時には、句点(。)を交えず、一気に、1ページほど続く文章もみられるのだが、著者の頭のなかで、よく、こなれた考えが、スルスルと、糸のように引き出されている、といった感じなので、難解な長文ではない。

生命倫理を勉強・研究している方々だけではなく、高齢の親を抱えるご家族はもちろん、自分自身の生き方を問い直す機会を求めている方々にも、本書は、何らかのヒントを与えてくれるはずだ。
・・・つまり、いかによく生きるかを考えることなしに、よき死はありえない。
というよりむしろ、よく生きた結果として、よき死が訪れるに過ぎないのだ。
よく死なせるために、今の生を苦しめては、本末転倒であることに気づかせてくれる、良書である。






安楽死を遂げるまで

安楽死を遂げるまで

世界の医療現場で、安楽死合法化の気運が高まっている。超高齢社会を迎えた日本でも、昨今、容認論が聞こえてくるようになった。しかし、実態が伝えられることは少ない。


安らかに死ぬ――その柔らかな響きに、欧州在住の筆者は当初懐疑的だった。筆者は、スイスの安楽死団体でその「瞬間」に立ち会い、またはアメリカやオランダで医師や遺族と話を交わすなかで、死に対する考えを深めていく。

文庫解説で武田砂鉄氏はこう書く。
<本書から繰り返し聞こえてくる著者の吐息は、安心感なのか戸惑いなのか疲弊なのか、読者はもちろん、それは著者自身にも分からないのではないか。死にゆく様を見届けた揺らぎが、そのまま読者に届く。読んで、同じように揺らぐ。目の前に広がった死の光景をどう受け止めればいいのだろうか>――

読後、あなたは自らに問うはずだ。私はどう死にたいのか、と。


第40回講談社ノンフィクション賞受賞作にて、日本で安楽死議論を巻き起こすきっかけとなった衝撃ルポルタージュ。


レビュー・口コミ

ゆうさくさん

...遅れて読んだけど、この本はすごい。 
 
 著者がスイス、オランダ、ベルギー等で安楽死の現場に立ち会った際の状況が細やかに描写されていて、かなり引きこまれた。 
 日本人と欧米人の考え方の違いも取材を通して浮き彫りにし、考察しているので、ある意味で比較文化論にもなっている。 
 

 著者は、「自らの意思で」死んでいく人を目の当たりにして、止めなくてよかったのかと自問自答する。それも自然な反応だろうと思う。 
 読む人は、著者の立場に自分を重ねて葛藤するかもしれない。自分だったらどのような死を迎えたいか考えるかもしれない。 

Fuji0817さん

フィクション、ノンフィクション問わず本当に良い本に巡り合えたと心から思いました。(内容についてはあえて触れませんが)テーマがテーマということも少なからず影響しているのか作者の配慮か、昨今の読者を煽るようなわざとらしい大袈裟な表現もなく白々しいコメントもない、作者の葛藤や考えを読んでいる者が同時に自分自身で考え読み進めることの出来る素晴らしい本でした。

作者は安楽死について特に肯定でも中立という立場でもなく自身の考えを持ち合わせながら、安楽死や自殺幇助施行の前日や当日の様子、または(心の傷の癒えてないかもしれない)後日に亡くなられた方の身内へと、普段中々我々がうかがい知ることの出来ない部分を伝えようとしてくれています。
仮に患者、身内、医者の立場でこの場面にあった場合、自身だったらどう行動すべきか、色々考えさせられました。

しかし最近の小学館は面白い…

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selfish manさん

生きることを定義できないと死ぬことを定義できない。しかし、生きる意味を定義できる人なんて、いるのか?いや
いないだろう。
つまり、死ぬとはどういうことか?という定義は、絶対にできないことになる。
そこがスタートだから、尊厳死、安楽死、自殺幇助、そういった死をあつかう議論では、
フラストレーションをいだいて終わるのが運命のようなものだと思っている。
ただし、死とは何か。一般的な定義は不可能だが、個別的な解は出ることがある。
ほとんどの人は死がこわいから、解をださずに、問題を先送りして、死がせまったときにオロオロして暮らすことになる。
本書は、例外的に、個別的な解を出した人にスポットライトを当てていく。
生きる定義が個人によって違うから、死ぬ定義も個人によって違うのは当たり前であり、非情に共感できる死がある反面、許せない死、意味のわからない死など、納得できないものに対しても、分け隔て無く、死に対する個別的な結論が紹介される。そして、そこに対して、筆者の個別的な、しかし揺れ動く死生観が、押しつけがましくなく、明確に表現される。文章には、必ず「私は」という主語がある。そこに誠実さを感じた。
新聞のように、主語もない、書いている人の顔が見えない文章では、個別的名「死」を扱うことができない。だから自分は尊厳死などをあつかう問題について、「〜は議論を呼びそうだ」みたいな、新聞おきまりの結論をみる度に、怒りを抱く。そんな自分のような人には、筆者と死について「精神的な相撲」をとることができる、がっぷり四つで「死」という、普段考えたくない範囲について、知的な筋力をつけられる、間違いなく良書である。

批判を言うとすれば、日本的な「死は家族にも所属する」という考えに、欧米在住の筆者は、一種のあこがれのような感覚を抱いていることに違和感が強かった。絆、つながり、のような美談でとらえられる日本の村社会は、
「長男の嫁」「村八分」「出る杭は打たれる」など、近年日本では克服すべき、悪しき人権蹂躙の風習と表裏一体の危険な要素を含んでいることが認識されてきている。そのような、日本における村社会の絆、みたいな幻想が、もし死生観まで蹂躙しているのであれば、それは集団による人権の迫害であり、克服すべきものであると考える。全然美談ではないと思う。
「それもまた、あなたの個別的な死生観でしょ?」と御批判をうけるかもしれないが、
「個」ー「個」が、死生観でぶつかるのはよいと思うが、「集団」ー「個」が死生観でぶつかることには、ナチスの障害者安楽死計画のようなおぞましさと、どこかでつながっている気がして、ここは譲れない点だ。批判させてもらう。家族、村社会は個人の死生観に介入すべきではない。

もう一つの批判としては、医療の進歩が人間を傷つけることが増えたからこそ、尊厳死をえらび、「医療に傷つけられない権利」が叫ばれているのだから、「医療の暴力性」についてもっと専門的な人間に話を聞いてみるべきであったろう。直腸から出血したが、放射線治療で治った例についても紹介されていたが、医療的な監修をうけたとは言えない文章であり、医療の「暴力性」と「有効性」を天秤にはかるための材料が、そこにはほとんどない。
実際には、末期癌なのに心臓マッサージで肋骨骨折して吐血して死ぬ人、重症な方が数日生き延びるための透析(そのためのカテーテル挿入、出血、痛み)。など、尊厳死が広がる背景と、医療の暴力性は切っても切り離せないものである。そういった医療に傷つけられた人間の取材をしないと、尊厳死については片手落ちだと思う。これは、インタビューを主体としたルポルタージュの限界か。

Amazon カスタマーさん

日本では緩和ケアや消極的安楽死(尊厳死)しか認められていない現状と、ベネルクス三国(積極的安楽死)やスイス、アメリカ数州(自殺幇助)の現状と相違点が宗教的、文化的な観点から違うことが分かりやすく比較提示されています。

スイスのディグニタス、エグジット、ライフサイクルといった自殺幇助を支援する団体と、実際にその支援を得て自殺幇助を遂行した終末期患者の生き様がリアルに描写されています。また、オランダやベルギーでは、積極的安楽死が治る見込みがなく、耐え難い痛みといった肉体的苦痛に見舞われている患者だけでなく、精神的苦痛の患者にも一定要件を満たしていれば安楽死の認定が下るという事実を知り、衝撃的であると同時に、安楽死の対象が徐々に拡大される(slipperly slopeの議論)のではないかという懸念も持ちました。

安楽死の世界的な動向や日本の現状を概観するのにはピッタリの入門書だと思いました。医学の専門家ではないジャーナリストが一般人の視点からインタビューを試み、終末期患者とその家族の思いを率直で、専門家の難解なコメントとは全く違う分かりやすい平易な文章で書かれているため、一気に読み切ることができるでしょう。

人間のクオリティー・オブ・ライフについて、そして死に様について避けようがないことから目を逸らさず、しっかりと見つめる必要性を感じました。

satoshiさん

安楽死の現場に筆者が立ち会うところから本書は始まる。その衝撃的なシーンと、いずれ訪れるだろう自分自身の死を重ねながら読み進めていった。

今後、日本にも終末期医療に安楽死という選択肢が加わることは、世界的な潮流からも可能性が高い。私自身もそのときに安楽死を望むかもしれない。しかし、恥の文化が根差した日本では「迷惑をかけるぐらいなら」と自らを安楽死へと安易に導いてしまうような空気が流れることに筆者は警鐘を鳴らしている。

やがて訪れる自分自身の死、そして家族の死に向き合う貴重な機会となった。

フェレット裏番長さん

海外の事例を紹介する本はどれもたいてい、一か国(英語圏)のみの取材で終わってしまっている本がほとんど。マルチリンガルの著者は安楽死を認めている様々な国足を運んでインタビューをおこなっている。

一つの国の事例だけで、海外ではこうだという強引な結論の導いているのではない。それぞれの国の安楽死の事例を知ることができ、俯瞰した気持ちで読み進められる。

近い将来日本も安楽死の検討はされると思う。他国から学ぶことは多い。

ジュンさん

著者が安楽死に対する賛否を留保しているため、私もフラットに読めて良かった。

N.Sさん

ALSの患者さんの事件から購入。安楽死に対して賛成、反対意見両方あってよかった。他の安楽死についての本も読んでみたい。

ゆきさん

文庫本で良かったです。私は精神疾患者なのでとても勉強になりました。ありがとうございます。

Amazon カスタマーさん

海外での多数のケースが偏りなく取り上げられている点が素晴らしい。
若い方から高齢者の方々まで。
また苦しんでらっしやる病気も様々。
現代の日本では、とにかく延命の医療現場。
また、精神的疾患に対しての偏見がまだ強く根付いている。
安楽死先進国では死の権利を認め安楽死というオプションがある。
また精神的疾患による苦しみにより安楽死を求めて容認する国ベルギー。
安楽死後進国である日本が参考にすべき点が多数あると読了後に痛感。
高齢化社会が進む日本。精神的疾患に対して偏見が根強くある日本。
日本の安楽死整備、そろそろ始めていかなくてはいけないのでは?



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安楽死を遂げた日本人

安楽死を遂げた日本人

ある日、筆者に一通のメールが届いた。

「寝たきりになる前に自分の人生を閉じることを願います」


送り主は、神経難病を患う女性だった。全身の自由を奪われ、寝たきりになる前にスイスの安楽死団体に入会し、死を遂げたいという。実際に筆者が面会すると、彼女はこう語った。

「死にたくても死ねない私にとって、安楽死はお守りのようなものです。安楽死は私に残された最後の希望の光です」


日本人が安楽死を実現するには、スイスに向かうしかない。お金も時間もかかる。ハードルはあまりに高かった。だが、彼女の強い思いは海を越え、人々を動かしていく。

講談社ノンフィクション賞を受賞した『安楽死を遂げるまで』の続編。


レビュー・口コミ

ミスター・ディグさん

日本では、安楽死は認められていない。海外でもアメリカやオランダ、ベルギーなど、一部の国で認められているに過ぎない。だが、それらの国のほとんどは、安楽死を行えるのを自国人だけと定めており、外国人が安楽死できる国は唯一スイスのみである。スイスでは、安楽死用に使う薬品も薬局で僅か数百円で買えると言うから恐ろしい。

多系統萎縮症という全身の機能が衰えていく難病に罹患した小島ミナさん。余命宣告といったような、すぐに死ぬような病気ではないが、日常生活がどんどん困難になっていき、言葉さえ発せられなくなり、最後には寝たきりになってしまう。それでも大脳だけは元気だというから性質が悪い病気である。年上の姉2人に介護してもらうのも耐え難く、4度の自殺未遂を経て、安楽死を決意した。

日本では安楽死と尊厳死がよく混同されるなど、あまり国民に終末期医療の知識が行き渡っているとは言えない。安楽死は単なる「安らかで楽な死」ではない。安楽死を望む人にはよく毛嫌いされる緩和ケアの中には、セデーション(鎮静)と言う方法があり、患者の最期の数日間、苦痛を和らげる為に最低限の鎮静薬を投与するというもの。安楽死は苦痛が起こる前の段階で行われ、致死量の薬を投与する事によって患者を死なせるというもので、両者は似ているが別物であり、セデーションは安楽死の代わりにはなり得ない。すぐに死に至る事のない小島さんからすれば、安楽死は最後の希望であったに違いない。

小島さんがスイスで安楽死するまでは様々な困難・紆余曲折があった。しかしそれでも小島さん及び2人の姉はたまに喧嘩をしながらも周囲が驚くほど明るく、気丈に振舞っていた。しかし、いよいよ安楽死が目前に迫った時、今までの明るさが嘘だったかのように3人は悲しみを露わにした。しかし、すぐに小島さんは明るさを取り戻し、姉2人、そして撮影していたスタッフに感謝を述べながら、安らかに息を引き取った。この場面は涙無くしては読めない。海外で安楽死した初めての日本人、小島さんの51年の生涯は無駄ではなかったと信じたい。最期まで死と向き合って挫けなかった強い人だった。

安楽死できた人もいれば、できなかった人もいる。末期癌を患った吉田淳さん(仮名)。安楽死を希望し、東奔西走しながらも、結局果たせず最期はホテルの一室で亡くなった。これだけの情報だと悲惨に思えるが、吉田さんは疎遠だった家族(特に妹)の助けを受け、感謝しきりの晩年だったという。例え肉体的には苦痛であっても、最期に家族との絆を取り戻した吉田さんは決して不幸ではなかったと思いたい。

安楽死は必ずしもベストな選択ではないかもしれない。難病に罹っても生きたいと思う人の方が多いだろう。しかし、我々はこの世に望んで生まれてきた訳ではないし、死は絶対に避ける事ができない。それなら、せめて自らの死ぐらいは自由にしたいと思う感情は理解できる。安楽死が主流になる事はないと思うが、選択肢の1つとして考慮される時代が来るかもしれない。

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ほたてどんさん

テレビの番組「彼女は安楽死を選んだ」を見て、本も出ていることを知り一気に読んだ。
患者はミナさん。50代女性。重い神経難病を患い、安楽死を希望していた。自国人以外に安楽死の門戸を開いている唯一の国であるスイスで安楽死を遂げた。4人姉妹であり、二人の姉は安楽死に賛成し、一番下の妹は安楽死に反対だった。

スイスでの安楽死の条件
1.耐え難い苦痛がある 2.明確な意思表示ができる
3.回復の見込みがない 4.治療の代替手段がない

スイスでの安楽死では劇薬の点滴のストッパーの解除を自ら行う。医師が開始する訳ではない。ミナさんは、スイスで安楽死し、日本では安楽死が認められていないため、遺体は日本に持ち帰らず、灰はスイスの川に流された。眠るように亡くなられたのが印象的だった。

なぜ彼女はスイスで死ななければならなかったのか。日本で安楽死が認められていないのは、日本人が優しいからか。死生観の違いか。いや安楽死という重い問題を避けて、深い議論をしようとしない結果だ。スイスも長い議論と国民投票の末に安楽死が認められている。(この本では少し解釈が違う)

ここまでは、テレビの番組のレビューである。テレビの番組を見た上で、さらに300ページをこえるこの本を読む意味があるかとういうと、あると思う。テレビの番組を見て安楽死に前のめりになっていた私に、冷静になれと水をかけてくれたのがこの本だからだ。
この本の中では、テレビの短い番組の中では分からなかった、ミナさんや姉妹の心の葛藤、発病からスイスでの安楽死に至るまでの詳細な過程が分かる。また、テレビの番組で誤解していたのだが、誰でも安楽死を簡単に望めるものではないことが分かった。さらに、テレビの中ではスムーズに進んでいく安楽死への道も、かなり混乱し綱渡り的だったことが分かる。

この本の著者の立場は、安楽死に懐疑的なものだ。なぜなら、安楽死は担当医が判断を間違えると、死期を簡単に早められてしまう方法だからだ。また緩和ケアが進んでいるイギリスでは、安楽死は緩和ケアが進んでいない国で行われていると言われていることも知った。ミナさんの担当医とのやりとりにも危うさを感じる部分もある。さらに、日本では今、尊厳死の議論が進んでいて、日本に必要なのは安楽死ではなく尊厳死の議論ではないかということに気づかされた。

安楽死。ミナさんの姉妹でさえ考え方が真っ二つに分かれた重い問題である。簡単には結論は出ない。この安楽死が日本に必要であるかどうか考える機会を与えてくれた意味で、彼女の外国での安楽死という一石のおこした波は大きい。またそう思いたい。この機会に尊厳死の議論も合わせて進むことを望む。

a-mさん

安楽死問題の事はさておいて、Nスぺを見て、あまりの驚きにこちらの本を購入しました。

過去何人かの身内を看取りました。
寝たきりの死も、末期がんの死もありました。
緩和医療だって、すべてがうまく運ぶとは限りません。 
皆一様に「死ぬほどの苦しみ」を味わいながら死んでいきました。
こんなにも「ありがとう、幸せだったよ」と、最期にお互いが伝えあえる「死」があるでしょうか。

ふくふくさん

NHKスペシャルを見て購入し、一気に読んだ。

人の寿命は人の手(医療の発達)によって伸び、その事(寝たきりで延命される事)で悩み、スイスの医療者の協力で自殺幇助を選んだ。天命が人の手に委ねられている今、死に方を個人が選べても良いと思う。臓器移植もそうだが、他国に甘えていないで、希望者が増えている以上、国が真剣に考えて欲しい。

終わりが見えない、痛みや苦痛を伴う病の人には、自死する力もなく日々が地獄である人もいる。『安楽死』が選択できる環境は、逆に明日への希望(苦痛から解放される日を自分で選べる事)に繋がる事も理解できたし、作者のいつも俯瞰している姿勢にも、事の善悪ではなく『真実を伝えたい』気持ちが伝わって来た。



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安楽死に至るまで:スイスで安楽死の権利を手に入れるまで

安楽死に至るまで:スイスで安楽死の権利を手に入れるまで

本書は、全国民に向けた「スイスで安楽死の権利を得るまでの手順」を学ぶための実用書です。

ここまでは便宜上「安楽死」と表現していますが、正確にはスイスで安楽死することは違法で、条件付きで自殺ほう助が合法となっているため、医療的なほう助による確実な自殺、が可能とされています。


この本では、2019年6月にNHKスペシャルで放送された「彼女は安楽死を選んだ」の舞台「ライフサークル(正確にはLife Circle内のほう助部門 Eternal Spirits。以下LC/ESと記載)」から介助自殺の権利を得た私が、LC/ESの実際のパンフレットを用いてそこに至るまでのステップを詳しく解説しています。


レビュー・口コミ

amazonuserさん

『安楽死』というと人権団体や生命倫理学者による『障がい者や高齢者など社会的に弱い立場にある者が「自分は周囲から死んだ方がよいと思われている」と感じ安楽死に追い込まれる』という反論をよく見るが、この本を読めば、それがいかにあり得ない空想であるかがわかる。

余命宣告不可の彼女のような病は緩和ケアの持続的鎮静も適用されずただ苦しみ続ける。自殺したくても体が動かず自殺すらできない。ここではそんな患者がスイスで安楽死の権利をいかに得たか、また、スイスがいかに注意深くこのような患者に『死ぬ権利』を与えているかがわかる。

筆者が安楽死の許可を得た団体は、NHKスペシャル『彼女は安楽死を選んだ』で小島ミナさんが安楽死された機関と同じスイスの"Lifecircle"。筆者が安楽死の執行を行う日を迎える前にこの本を出版したことは、誤解だらけの日本人に正しい安楽死の知識を普及することに大いに貢献する偉業とも言えるだろう。ちなみに、当該番組で放映された安楽死の条件は実際にLifecircleが提示する内容と微妙に異なっている。この部分もきちんと解説されている。

同案件を取材した宮下洋一氏は著書『安楽死を遂げた日本人』で日本での安楽死適用に反対している。しかし宮下氏は長らく外国暮らしで日本の現状と認識がかけ離れ、日本で誰かを介護した経験も介護された経験もなく、またご氏自身彼女らのような病人ではない。安楽死が反対なら、安楽死以外で彼女達を救うことができるのか?と問いたい。それができない宮下氏の安楽死に対する反論は氏の感情に基づく無責任なノスタルジーに過ぎない。また、何よりも宮下氏は安楽死を受ける当事者ではない。

本書では、宮下洋一氏の『安楽死を遂げた日本人』には書かれていなかった安楽死申請及び手続きの詳細とともに、実際に安楽死の権利を得た本人が、安楽死にありがちな一切のバイアスを除外した真実を、当事者の視点から激白している。
読者は筆者の嘘偽りない一言一言に目から鱗が落ちる思いになるだろう。貴重な一冊だ。

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AS・ROMAさん

安楽死という言葉は以前からあったが、NHKスペシャルで実際に日本人がスイスに行き、実際に遂げた事により話題になった。

話題にはなったものの依然として議論さえされない状況にある。

日本は生かす事に関しては物凄い理解がある一方、その生活の質、英語ではクオリティオブライフといったような事を考えた事も無いのでは無いか。
それを支える制度を作っていけば心配ないとはいうが、クオリティオブライフは人により多岐に渡り、手が届かないのが現実である。

そんな事を真剣に考える事はあまりない気がする、あまりないからこそ議論が進まないんだろうと思う。

とりあえず生きていればそれで良いというのは場合によってはかなり残酷な事では無いだろうか…と思う。

この本を1人でも多くの方に読んでもらい、賛成でも反対でもいいので考えてみて欲しい。

KYOさん

これを読めば安楽死制度が障害者に対する死の同調圧力にはなり得ないことがよーーーーくわかる。

安楽死権利を手に入れることがいかに面倒臭いか、本人の主体性、確固たる意思、持続する強い精神力があり、かつ正常な判断力があるとの医師の診断が必要。
これ、安楽死権を手に入れた時の達成感たるや、エベレスト単独登頂に匹敵するんじゃないかってくらい。
私はこれをやり遂げたんだって自己肯定感にもつながるんじゃなかろうか。
加えて今の苦しみは自分の意思でいつでも終わらせることができるというお守り効果。
そりゃ生きる意欲も湧いてくるだろう。

安楽死権は先の見えない苦しみの中にいる人のQOLをすーーーーっごく改善するものと断言できる。
同時に、生きたい人は使える手段をとことん使って生きろ、その権利は誰からも害されるものではないという強いメッセージもある。
生きる力ももらえる貴重な一冊である。

ヒライワンさん

自分は祖母が亡くなった時に、親戚の強い要望で延命治療をしていたんですが、寝たきりで意識があるのかも分からず、それを見てて管を全部引っこ抜いて今すぐ逝かせてあげたいなどと考えたことがあります。
自分は独身のいい歳のおっさんなのでこのままいけば身内もいなくなり、1人で老後を迎えることになります。自分も祖母のようになる可能性もあるのでそうなる前に、もうダメかもと思った時に自ら安楽死という選択肢があればな…と考えることがあります。

そしてたまたま見つけたこの本を読んでとても感慨深かったです。変な話ですが勉強になりました。

Amazon カスタマーさん

生きること、死ぬこと。ただそこに在るだけなのに、大仰に考えすぎだと思います。

強要されるものでもなく
押し付けられるものでもなく
悲観するものでもない

自分がどう生きて、どう死にたいか。
それは周りが決めるものではありません。

ただ理想を言うなら、沢山自問自答して自分の人生に納得ができ、また愛する愛してくれる周りの人にそれを伝えて理解してもらえたら、そこにある死は悪いものじゃないでしょう。

お別れは悲しいですが、本人が本当に納得できているのなら、それで良いのだと思うのです。

死ぬことを許されたことで、生きることに前向きになれる。

この本を読んで、1番シックリしたフレーズです。

悲しみの中で自死する人が少しでも減る安楽死制度が出来ることを祈っています。

Amazon Customerさん

スイスでの介助自殺の権利を得るまでの手引き書。実際に手続きをする際の流れや苦労が簡潔に書いてあって勉強になった。筆者の方のおっしゃるように、日本も「死」をただ拒否するような流れが変わればいいなと思う。(ただし私のように精神疾患で死にたいと思っている人には読んでもあまり意味がないものだと感じられた。)

横山二美さん

わかりやすく簡潔に知りたい情報が書かれていて、とても参考になりました。日本で「死ぬ権利」の獲得は難しいですが、いつの日かその権利を手に入れたいです。






だから、もう眠らせてほしい 安楽死と緩和ケアを巡る、私たちの物語

だから、もう眠らせてほしい 安楽死と緩和ケアを巡る、私たちの物語

安楽死を願った2人の若き患者と過ごし、そして別れたある夏に何が起こったか−。緩和ケア医が全身で患者と向き合い、懸命に言葉を交わし合った「生命」の記録。事実をもとにした物語。


安楽死を願った二人の若き患者と過ごし、そして別れたある夏に何が起こったか――。オランダ、ベルギーを筆頭に世界中で議論が巻き上がっている「安楽死制度」。その実態とは。

緩和ケア医が全身で患者と向き合い、懸命に言葉を交し合った「生命(いのち)」の記録。


レビュー・口コミ

Amazon カスタマーさん

noteで連載中に読んでいました。
がん家系と医師に言われるほど近親者がほとんどがんで亡くなっているので、いずれ自分の身にもなにがしか起こるだろうと覚悟を整えている最中です。

ホスピスの情報も常日頃から意識して探していますが、あまりに辛いなら安楽死を願いたい。
けれど、西先生は頑として安楽死に反対をなさっている。
なぜだろう?と感じたのが、noteを読み始めるきっかけでした。
先生のTwitterも拝見しています。

もしその時がきたら。
安楽死が認められなくても、これだけ向き合ってくれる医師のもとなら、
納得しながら最後までの時間を過ごせるのかもしれないとも感じました。
でも医師は何人もの患者を担当していますから、
このような考えが寄りかかりすぎだとも理解しています。

死を望む時、今この日本では誰も答えを出したがらない。
これから、西先生が言われるセデーションの知識と技術が患者に等しく与えられることを期待しています。

purinさん

日本の緩和ケアではどういう終わり方が許されているのかなと思っていたので、鎮静という方法を使ってもらえるんだなと安心しました。しかし、患者当人の判断ではなく、他人が苦痛の度合いを決める現状であることがよく分かりました。私としては鎮静の判断を苦痛を味わっていない他人に決められたくないなと思いました。

本の最後に西先生の理想が語られていましたが、日本人の中にも欧米の個人主義に近い考えの人もいるので、個々人の希望どおりに穏やかに死を迎えることができるようになってほしいと思います。

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ヒロンさん

タイトルに惹かれて購入しました。
医者目線で緩和ケアや安楽死について書かれているのだと思います。自己陶酔している様な部分も見受けられます。日本の国ではまだまだ理解されない安楽死ですが、これからの医療はテーラーメイドと言う印象を受ける内容でした。






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